公教育をイチから考えよう

著者:リヒテルズ直子、苫野一徳

日本の公教育の問題は良く指摘される。
問題があると言うのは日本特有の話では無く、外国にも過去に問題があり、その反省に立って改善を繰り返してきた事が述べられている。

本書ではオランダの教育が最善と見て紹介されている。
オランダは日本の農業の手本となるのではとも言われている。
欧州の中でも国が狭く地理資源的にも決して恵まれていない。
国土が狭くて埋め立て地が多いのも日本に近い性格を持つ。
しかしオランダは農業輸出国として存在できている。
また、国民そのものが資源であると言う立ち位置を取らざるをえない。
これも日本も同じである。
日本の教育の問題は様々な観点があるが、ひとつは上意下達主義であると言うことだろう。

森友学園問題でも保育園で教育勅語を暗唱させたり、運動会の選手宣誓で関係ないことを言わせていたりと上からの押しつけで不合理なことをさせている。
自分自身が学生の時に教育されていたことを思い起こせば、ここまで酷くは無いが不合理な押しつけがなかったか。
森友問題は教育勅語が本質では無く、このような上意下達方式が酷すぎることが問題なのでは無いのか。

それが表面的に顕著に見えているのが英語教育でないのか。
英文を、英語とは程遠い発音で読むことを放置(容認とは違う)し、日本語で訳を言わせる。
こんなことを何年繰り返したって英語を読み書き聞き喋りが出来るようになる道理が無い。不合理の典型である。

やるべきは自主性に任せた教育である、と本書では言います。
自主性を育てるのは難しい。
なにか強制してその子供を“動かした”ほうが遙かに楽なのは誰もが同じでしょう。
見た目も成長しているように見えます。
でもそれでは教育の育ができていない、育てていないといえるのでしょう。

実は“一方的に教師が教えるスタイル”は文部科学省レベルで決まってはいない、という指摘もされています。
生徒各自がそれぞれドリルなどで自主的に勉強するスタイルを否定しているわけで無い、ということです。

考えてみればその通りです。
時々、離島や過疎地で、全校で数人の生徒、という学校が紹介されます。
そこの生徒らは各々が思い思いにドリルで学習して、時折教師の手助けを求める形が紹介されます。
文部科学省がそれを禁止していれば、その状態自体が問題になってしまうからです。

こういった問題や背景も本書では説明されています。
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