高校英語教育を整理する!教育現場における22のギャップ

著者:金谷 憲, 隅田 朗彦、大田 悦子、臼倉 美里

英語教育関連の本ですが、表紙に「同僚とあなたの認識ずれていませんか」と書いてあります。

英語教育に限ったことでは無く、改革や革新、いや、改善ですらなにかしら変えていくときには必ず“抵抗勢力”が存在します。
反対意見がなぜ出るのか、それは認識のずれ、ギャップから生じていると考えられます。

この本では「整理する!」と書いているように、また、まえがきでも書かれているのですが、「高校英語教育」の問題解決以前の問題として、「そもそも問題は何であるのか」というそもそもの論点をまず整理しています。
代わりにその答えは書かれていません。

表紙に例題として『高校生に最低限身につけさせたい「基礎・基本」って?』と書かれています。
こんな“基礎的”なところでも人によって異なった認識、見方による「基礎・基本」が提示されてしまっています。

この問いで言えば、設問が「期待」なのか「現実」なのか「理想」なのか、それらのどれを問うているのかで答えが変わってきます。
だからそもそもの議論すら成り立たないのです。

例えば「ナチュラルスピード」や「速読」という、定量化すら可能と思われる言葉でも、人によってとらえ方が異なるということなのです。
(この2つも本の中で論議されています)

「ネイティブスピーカー」という言葉でも、一般人(教育現場では親ということになる)が持つ印象が“おかしい”ために話がややこしくなっている現場もあるようです。
本来は言葉通り「第一国語が英語である人」なのですが、一般人には「白人で英語を喋る人」ぐらいにおかしな受け取り方をしている人もいるのが現実であると提示されています。
これはいわゆる“ALT”と呼ばれる補助教員によってネイティブの英語に触れるというのが問題をややこしくしているのです。

ハッキリ言えば「ネイティブスピーカー」という定義だけでは子供達のお手本となる発音が出来るのかは根本的に疑問です。
日本人だって日本語の発声が良い人ばかりではないのは当然で、英語だって似たようなものと考えるのが当然です。

この本のストーリーの中で、親から槍玉に挙げられているのは「日系米国人2世」のALTの方です。
間違いなくネイティブスピーカーといえます。
しかし容姿は日本人である上に、あまり発声が良くないようです。
「去年の方が良かった」としているのは前年担当の欧州の方で実は第1国語は英語ではありません。しかし訓練済みなのか発声は素晴らしいようです。

こういった現実と理想、様々な認識の違いを現場感覚で紹介されていきます。
まずはこういった認識を合わせていかないと「改革だ!」といっても話が進むわけが無いという認識なのです。

本当のそもそも論にいくと「英語ができる」とは一体どういう状態なのかという話になります。
よく「6年間か10年間英語を勉強したのに英語ができるようにならない!」という話があります。
この「できる」の定義が人によって千差万別なので、話が全くかみ合わずに論議にならないのではないでしょうか。

ある人にとっては
「ペーパーバックぐらいはすらすら読める」
またある人にとっては
「英米人と対等にしゃべることができる」
といいます。
でも、それらが出来ないのは当然なのです。
なぜなら、学校での英語教育はそれらを目的にしていないからです。

どうでもいいような文法論の重箱の隅をつつくような試験問題を作ったり、訳語を覚えることを強要する教科はおかしい(というか時間の無駄)と思います。
しかし学校教育で英語の基礎を勉強させているのは間違いない訳で、その上で上記の目的に向かって個々で頑張るものではと私は思っています。

そもそも学校の勉強だけで実技的に役立つものはほぼありません。
例えば家庭科の調理実習ですら、“そこで学ぶ”ものは殆どないのではと思います。
結局、グループの中にいる、既に出来る人が中心となってやってしまいます。
一度通してやった経験は、ゼロよりははるかに有為ですが、それで「できるようになる」とは到底思えません。
その後、自宅で(親の手伝いや自分用のものを作るなどで)何度もやることでやっと“できるようになる”のではと思います。

それが学校の現実であり、現場であると言えるのでしょう。
英語についてもそのことがこの本には書かれています。

英語に限らず、学校の教師は教科だけ教えていれば良いのであればまだしも、“学級担当”“部活顧問”でもやろうものなら途端に自分の時間が無くなります。
これは本にも書いてありますし、教員の友人から聞いた事もあります。
放課後の時間や休日もすべて生徒のために使うことになります。
生徒の立場からみて部活の時に顧問の先生がどれだけ自分達に“つきあってくれていた”かを考えれば分かると思います。
他校と練習試合でもあれば顧問が運転したりもします。
「最初と最後に少し顔を出すだけだったよ」だって最後まで学校に残っているのです。
しかも文科省から色々な資料を出せと言われて調査したり資料作成するようでこの時間が半端ないそうです。
これも「現場の声を聞いて政策を作れ」などと言う美辞麗句の結果であるとも言えます。
文科省の連中が現場に赴いて調査することは稀でしょう。
仮にやっても「それは一部の学校の印象でしか無い」とか言う人が必ずいるのです。

そういった是非を論じはじめるとキリが無いので、まずは「こういう問題がある」ということをまな板に載せたというのがこの本なのだと思います。

英語教育の本としても面白いですが、様々な会社内の改革やらを進めている人も読むと面白いと思います。
特に最近は「働き方改革」とか「脱日本型経営」とか「グローバリゼーション」とか「IT革命」とか美辞麗句を言う人が増えたのでその煽りを食っている人も多いのではと思います。
私も片棒を担いでいますので「なるほど、こういう感じでズレがあるから話がかみ合わないんだ」という気付きがあちこちにあります。
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