ナリワイをつくる

副題:人生を盗まれない働き方
著者:伊藤洋志

「ライス(米)ワークではなくライフ(生)ワーク」といったところか。
ライスワークとはメシを食うために働くこと。ライフワークとは生きるということそのもの。

ナリワイとは生業。
「はじめに」の言葉を引用すれば「個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられて、ワザが身につく仕事」。

そうはいってもどうやったらいいのかよくわからない。
もしくは単なる理想論というのかもしれない。
そういう人のためのヒントを教えてくれるということ。
ただし、ノウハウではない。
こうすれば良いなんてものはない。

起業とも言えるが、最初は小さく始めるが、別にずっと大きくしなくても良い。そういう規模感だ。
ただ、そういうのをたくさんつくればいいじゃないか、という考えのようだ。
例えば月5万稼げる仕事が6個あれば30万稼げる。
もちろんその5万の仕事を毎日やるわけではない。月に数日かもしれないし、年収とすればもっと少なくて年一で一週間だけやる仕事かもしれない。
イメージとしては農林漁業が近いかも知れない。

日本の農家は“百姓”とも言われた。
なにやら世間では蔑視言葉であるらしいが、元の意味は「なんでもやる(できる)人」でむしろ褒め言葉ではないのか。
昔は家を建てるのも大工に頼まず自分でやった時代もある。

ところが近代になればなるほど大量生産・安価というスケールメリットがもてはやされて必然的に専門化が進んだ。
今は設計と生産が国単位で分業化(専門化)するぐらいの話だ。
そしてそれが深いがごく狭い知識と作業に追われるようになった。
今は料理さえ自宅で素材から作らずに中食(出来合いの惣菜)ということも珍しくはない。

料理はさすがにやるとしても味噌・醤油を自宅で作っている家庭はどれだけ残っているのか。昔は作る家庭が普通だったという。
また日本酒なんか米作農家なら普通に自家製造が普通だった。これは近代化に伴い税収増=酒税徴収のために自家製造を「密造」と称して弾圧しつづけた結果であるが。

専門性が高いということは本質的に心身に負担がかかる。
高くなるほど「完璧にできる」が要求される。これほどつらいことはない。
なにより同じような作業なので“飽きる”。
それを押し殺して繰り返すのだからこのこと自体が負担といえる。

本業はそのままでもよいから、自分にできる“ナリワイ”をみつけて増やしていってみよう、という話である。
もしナリワイを回していくほうが主になって本業がきつくなったら本業を辞めてしまうという考えもある。
またはナリワイだけで生活できるようになれば、一番ツマラナイ本業を辞めてしまうと言う考えもある。

ナリワイというのはたくさんあるのが前提だから、仮に一個ぐらいなくなっても大きな影響はない、ともいえる。
それが強みでもある。

本業があっても会社が傾いて追い出されたらと考えたらそれこそ不安要素ではないのか、とも言える。
いくつもできることを増やしておくという自体がリスクマネジメントとも言える。
どこまでいってもリスクゼロにはならないが、少しでもリスク要素を減らしていて損は無い。

そういう考え方であり、著者がどんなことをどんな風にやったかが書かれている。
著者自身が言っているが、その通りにすればうまくいくなんてない。
だから自分にあてはめてみて、どうやればいいかを自分で考えてみなさいと言うことだ。
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