文は一行目から書かなくていい

とても共感できる本です。
学校教育(国語)の問題として、原稿用紙を頭から一文字づつ埋めていくという方法論を強要されている、ということがあると指摘しています。
正確には強要ではないとは思うのですが“素直にとれば”その通りにやる意外は考えつかないとは事実とも思います。

私は子供の頃からある本に書いてあった手法の応用(今流に言えばブレーンストーミングの類の本だったと思います)にならい、まずチラシの裏に色々書き殴ってから原稿用紙に“清書”していました。
大学生あたりから「殆どの人がまともに文章を書けない」という事実に愕然としていました。(その頃は他人のことを考えている余裕がなかったので気にかけていませんでしたが)

私は普通に実験レポートとか論文とかを自分で書いていたのですが、周りの人は“先輩の論文をコピペ”していたのです。
私にしてみれば「他人の文章を書き写すなんて苦行」としか思わなかったのですが、他の多くの人は「自分で文章を書くなんて苦行」と捉えていた(またはコピペするのが楽だし要領がいいと考えていた)ようです。

私が大学生の頃はPCでの文章入力は可能になっていましたが、レポートなどの提出は所定の用紙(様式)に手書きで行うようなルールでした。
PCでの文字入力は日常茶飯事でしたから、一度PCで文字入力し、文章を仕上げ、それを紙に書き写すというこ
とをしていたのでした。

このように、子供の頃から「文章は適当に書いてからあとで(必要なら)清書すればいいんだ」と染みついておりそれが当り前だと思っていました。
この本で初めて「ああ、殆どの人はそんな“縛り”を受けて生きてきたんだ」と認識したのです。

この本は別に「コピペ文書」を推奨しているものではありません。
他の人が必要とする文書(情報)というのは、どこかからのコピペ文章ではなく、書く人の中から生まれてくるものなのだ、というのはいつの時代も同じなのです。

とりあえず文を色々書いてみて、それをコピペして文章を作り上げるというやり方もあるんですよ、ということなのです。

私の感覚では、とりあえず中あたりに書くような文章から始めて、結末を書いて、最初のつかみの辺りは最後にしたりもします。
これは「要は何を言いたいのか」から入るということです。
歌で言えばサビ(一番盛り上がるところ)から作ってという感覚なのでしょうか。

とりあえず全部書き殴ってみて、あとから修正を加えていくということもあります。
構成を変えることもあります。これがコピペです。
場合によっては一度全部書き殴ると気が落ち着くので、そこでまたいちから改めて書き始めるということもあります。

文章を書くことになにか心理的抵抗がある、なにかに囚われているのなら、この本を読むとスッキリするのでは無いかと思います。

およそ文章を作るのは“術”なので誰にでも習得出来るただのスキル、方法論が殆どです。
才能なんて基本的には不要です。
必要なのは、書く対象に対する見識やら知識やら想いやらです。
- | comments (0) | trackbacks (0)

コメント

Comment Form

トラックバック