PS2騒ぎ斜見

マスコミこぞってPlayStation2の騒動である。さすがに一般新聞ではないだろうが、TVやネット上の紙面をにぎわしている。
まぁ、それ自体はまぁ、かまわないのだが。
スペックなどについてはあちこちにのっているのでそちらを参考して欲しい。まぁ、スペック自体はそれをながめてどうこういえるようなものでもないし、一概に論じることができないのが現実である。昔はわりと一元的に論じれたのだが、現在では表の数字に出てくるスペックでは計り知れない事柄が多すぎる。目安にはなる。比較さえもあんまり現実味がない。

今回、ちといつもと違うのは半導体・IC系のニュースでも取り上げられたことである。チップ自体の性能が非常に高く、浮動少数演算やベクトル演算などではペンティアムIIIをも凌ぐといわれているためである。また、今回PS2用に開発しているチップ自体が最先端の半導体技術、もしくはそれ以上を求めておりの、実現させるためのICの設計技法としても注目すべきものがあり、なおかつ学会などで発表できるようなレベルのものであるを示している。

互換性

このPS2での一つのキーワードはPSとの互換性を持つということであろう。
要するにPSのゲームをPS2にいれても何の問題もなく動くことを保証する、ということである。

発表記事をみると「I/Oプロセッサ」の「コアCPU」に「PlaystationCPU」とある。
I/Oプロセッサとはどういう範疇を示すかは不明だが、推測するにいわゆるバス周りであろう。IEEE1394もサポートするようだし、USBやPCカードもサポートするとのことで、もちろんジョイパッドやらコントローラ、ポケステとの通信機能などのいわゆる雑務を引き受けることになる。
それによってメインのCPUの負担を極力減らし、必要最小限の情報のやりとりをすることがI/Oプロセッサの役割であり、それを回路で組むのが面倒なので「コアCPU」と称してCPUによってソフトウェア処理によって行わせる、というのが常套手段ともいえよう。
それに「PlaystationCPU」つまりPlaystationに使用しているCPUと同等のマシンコードを解するものを用いるということにしたのであろう。
これによって開発効率の向上(当然PSソフトの開発で手慣れているのはあたりまえ)、CPUコアの使いまわしによるトータル開発コストの削減、そして互換性のための布石といった一石三長の効果が望めてしまうわけである。

さて話を元に戻す。互換性の話である。ここらへんからは全くの推測なので勘違いしないように。
まぁ、あたらずともとおからず、ぐらいの感じだとは思っているのだが。
さて、Playstaionモードの時にはCDROMから読み込んだデータやプログラムは基本的にこのCPUで解釈するということにするのであろうか。こちらがメインCPUとして働くようにするわけである。そしてPlaystationのグラフィック機能、アクセラレータ機能や音源の再現などはきっとPS2でのメインCPUとグラフィックアクセラレータでエミュレート即ちPlaystationのチップの真似ふりをするのであろう。
周辺チップとしてのお仕事もその時には殆どないので問題はない。せいぜいがコントローラのお世話くらいだろうか。ジョイパッドはUSB接続になろうからその程度は負担になりそうだが、まぁ、誤差の範囲内であろう。
一説にはソフトエミュレーションによる互換という説も流れている。前述のグラフィック周りのエミュレートをそれと称しているのかもしれないし、もしくはPS2としてのメインCPUでPSのCPUのエミュレーションを行ってしまうのかもしれない。CPUのエミュレートというと桁違いのパワーの差が必要だが、単純な周波数やCPU自体のアーキテクチャの違いから見ると、なんとかエミュレートできるような差はあるような気もする。

どちらにしろ革新的なハードでなければ新しいマシンを打ち出す意味の無い、というゲーム業界において互換性を保っておく、というのは珍しいことである。
互換性は新機種の足をひっぱるというのが定説である。具体的には

などといった理由がよくいわれる。
ところがこれらの論議は回路設計が旧い時代の話ならまだしも、現代においてはナンセンスともいえる。

CPUなんてどこにでも転がっている時代なのである。炊飯器やら電気ポットや洗濯機に入っていたってもはや当たり前の世界である。それで値段が変わるわけでもない。下手に回路で組むよりマイコンをいれてしまってソフトで機能を実現しようとしたほうが開発が楽=開発コストが安い、また、部品の値段としても割安になってしまっている。ソフトで実現した機能はコピーすればいいからなんとも楽で安上がりになる。いわゆる量産効果、たくさんつくればつくるほど一個あたりの値段が安くなっていくわけでそれが著しい。

さらに昔はマイコンといえば一個のICとして存在していたのが普通だが、今ではそういう形でもない。上述したコアという表現がキーワードである。もはやマイコンだけでIC一個などというのは無駄であり、それにいろんなセンサーとかモーターとかリレーだとかいろいろ直接繋げるようにしたり、液晶表示をするならそのコントローラをいれたり、なんでもかんでも一個のICにいれてしまって、そこにCPUの回路を入れてしまう、というのがごく当たり前に行われる時代になっている。そのような時、そのICのコアCPUは何々、という言い方をする訳である。

そのICコア自体の値段、は物理的な値段なんてたかがしれており、むしろそのCPUの設計のコストのほうがはるかに重要である。
PS2ではPSが生産中止になってしまうとすればもう消え去る運命であろう。また、もうすでに数千万台売ったのだからすでにただにしてもかまわないだろう。そういう考えがおきればこれにのっけてしまってもコストにはほとんど響かないと考えて良いと思われる。

そしてグラフィックや音源周りである。旧来は互換性のために同一チップや上位互換チップをのっけるのが常道であったが、先に述べたようにパワフルなCPUとアクセラレータを用いてエミュレーションしてしまえばかまわない。もともと本来のPS2のための設計の自由度はまったく関係ないし、エミュレーションのためのコストなんて微々たる物であろう。無論、エミュレーションのためのソフト開発費はかかるのは当たり前だが、それは所詮ソフトで解決する話であるから、百万、千万売るのが前提なのだから一台あたりに換算したらほんの誤差の範囲内でメリットのほうがはるかに大きいことは容易に想像できる。なんたって仮に1千万かかったって1千万台売れば一台あたり1円である。

もし仮にエミュレーションに足りない性能だとしたらば、ソフトのチューンか、PS2自体の基本性能の向上ということで考えれば良いわけでPS2の性能であるとか設計思想などの足かせなどにはまったくなり得ない。

実にCOOLな手段であるといえる。

考えてみればそれほど奇抜ではないが、このような手法をきっちりととってくるのは実にSONYらしい。


3月4日
と思っていたら違うようだ。
このチップの作成をまかされたLSIロジック社によるとCPUコアとジオメトリエンジンを搭載したチップを作ると発表している。
つまりはプレイステーションの中心部分がそのまま周辺チップとして存在するということのようだ。
なんとも贅沢な話ではあるが、そこまでコストにたいして影響しない範囲内なのだろうか。
まぁ、そうかもしれないが。動かさなければ回路に電流が流れないようにクロックを切っておけばよいわけだし。

もう一点気がついたのはこのICが33.8MHz・37.5MHzの2モードのクロック周波数で動作するとしていることだ。
33.8MHzなのはPSモードで37.5MHzはPS2モードであることが判る。
PS2のCPUの動作周波数はは300MHzでありちょうどその1/8になるわけだ。
互換性を重視するなら本来の周波数で動かすべきであるから、PS2のCPUにエミュレーションを無理にさせるほうが面倒になる。


5月1日
本業で忙しく全然追っていけない間にフィーバーは落ち着いていた。
Oh!XというMOOKには予想通り冷静で私の感じていたことを見事に文章にしていてくれていた。
やはりすばらしい雑誌である。
ゲーム雑誌は大抵は半導体技術などハードウェア技術に関して詳しい人は少なく、一方のハード系雑誌には「ゲームマシンなど」と馬鹿にしているところもあるのでなかなか取り上げられることは少ない。
もちろん一般のマスコミ誌・新聞はいうに及ばず論外である。もっともTVの映像などは「実際に動いている様子」を垣間見させてくれていたので、そういう場に招待されないような私のような一般人にとっては、それはそれでありがたいものなのであったが。

Oh!Xの記事中で私が惹かれたキーワードは
「いつのまにか映画並みからCG映画並みに変わった・・」
「影・・」
「女の子はひらひらしたドレスを着てそよ風の中を・・」
である。

CGを現実とみまがうレベルにするには恐ろしいほどの計算量が必要とされる。
本当の最先端の世界では、本当の意味での、ほぼ実現できているといえるのかもしれない。
もちろんその世界はまだまだとてつもないでかい計算機ととてつもなく高いツール群ととてつもない技術をもったスタッフによって作られる世界ではある。でかい、高い、は特注だからだろうけれども、それを家電の理論で作ってしまえば安くあげられるはず、というのがPS2におけるSONYの理屈であったように思う。

結果といえばやっぱりまだできないんだろうな、というのが正直な所ではある。

CGにおいてやっぱりCGだわと思ってしまう不自然さというのには次のような点がある。

一つ目は「影」「陰」である。

これは映像合成でもよくある話であるが、影の不自然さがそれが「つくられたもの」であると判ってしまう決め手になる。
一般的にいう影がおかしいという稚拙な話も含まれるが、一般的に光があたれば影ができるというが、モノにはいろいろな方向から光があたっているためにいろいろな方向に影ができる。鏡は光を反射するが、普通の壁や物だって光を少しではあるが反射する。何枚の鏡が光を導くように、壁や物によって光が回り込むようなことになっていたり、その光が特定の色成分をもつためにその光があたった物の色が違って見えることも起きる。
それらが強い作用、弱い作用、方向、いろんな意味でランダムにあたった結果が人間の目にはみえている。
そこまでCGで計算をしないといけないわけでそれをリアルタイムにするとなると気が遠くなる話になる。
果たしてどこまでをハードにまかせるか、ソフトにまかせるか、ツールを使う人にまかせるか。。後者になるほど使う頻度が落ちていくし、使うものの能力を問うことになる。結果としては開発のコスト圧縮、期間短縮のためにごまかすことが増えてくる(それを否定はできないが、視聴者は違和感を感じる結果を招く)

二つ目は「ひらひら感」である。

CGでは大抵が「ぴっちりと肌に密着した服」か「革製の服」が意外と多いのに気がつく。
レオタード系や露出度が多い服装であることも多いが、キャラの萌え度をあげるということに貢献しているということはあるにしろ、実際はその方がCG合成で楽であるという事実もあるのだろう。
一枚の布が風でたなびくというのさえ、かなり難しい表現である。風が一定に吹いているわけではなく、布がすべてのところで均一であるということもない。
同じような例でいえば髪が風でなびくというのも非常に難しい話である。
髪の一本一本に対して風があたったりお互いにぶつかったりこすれたりの現象を再現して動かすという作業が必要となるためである。
PS2においてもその部分を誇示するデモがあったようだ。
CGの実験作品でもそれだけのために時間をかけて挑戦している例もあるくらいである。

これもどこまでさぼってどこまで再現するかで自然度が変わってくるわけだし、キャラの設定で逃げるということも多い。
固めの服装にして、髪もまとめたり短くすれば簡単になる。しかし、それでキャラの設定の自由度が落ちるということは明確になる。人間は一番低い所で評価するから、あるキャラが不自然だと結果としてその作品全体の評価を下げてしまう。

まぁ、どちらにしろ使うのは人間だから、といってはすべては終わってしまうか(笑)

とりあえずはGT(グランツーリスモ」がさらに実写同然でみまがうほどになることぐらいは期待していいのかな、期待したいな、というのが正直言ったところではある。背景の本当の意味での質感、すなわちマッピングでごまかすようなことをしないで脇の木の一本をきちんと計算して影や風でのたなびきなどをみせてくれたらそれだけで感動できる。滝がちゃんとしぶきをあげていたらそれも感動できる。
タイヤ跡もただの模様ではなくてさっきの周でつけたあととかがあればこれも現実味をあげてくれるだろう。
もちろんタイヤのねじれや車の跳ねたときの挙動、地面でこすったところもきちっと計算でだして火花の量も計算でだせてくればもっとリアリティがあがると思う。メモリが増えれば、CPUが速くなれば、レンダリングエンジンが速くなればどんどんとできることが増えてくる。だから性能があがるのはいくらでも結構。

現実の世界と計算でだせる世界とのギャップはとんでもなく大きい。それはとてもじゃないけどできないと思ってはいたが実際にはだんだんと手の届くところにきているという実感はでてきている。SFではなく、現在の延長上に見えてきたのではないか、ということはある。しかしまだ遠いのも確かなこと。

マスコミは試作品で見た感じ+SONYの広報のはったり半分でのせられすぎという感もあるが。まぁ、のせてだますのも広告のうちであるからそのやりかた自体は否定はしない。昔からそういうところはSONYのお家芸だしね(笑)

発売は年内〜1年後かそれ以降かもしれないという。
果たしてそのころのパソコンの最先端とたちうちできるのか、という疑問もそこにはある。
もうペンティアムは1Gの時代だろうし、VooDooチップも4か5あたりがでてるかもしれない。
メモリも128なんて当たり前だろうし、DVDROMでゲームがリリースされていることは想像に難くない。
DVDROMドライブは既にちょっと高いCDドライブ程度なのである。
欲しいゲームがDVDででれば購入しようと思えるレベルといえる。

結果としてでたころには現在のドリームキャストと同じ感覚に陥ってしまうことも考えられる。

すなわち「パソコンのサブセットにすぎない」ということである。

(いちおう)独自のCPUで独自のグラフィックエンジンとして開発しているが結果としてでてくるのはどんな映像とゲームをみせてくれるかが勝負であり私のような一般人の捉え方である。
別段、「すごい」とか「感動の」とかいうレベルでは既になくなっている可能性が高い。
それなりにドリームキャストに対して潰しておこうという戦略的な意味もあるのだろう。
事実、ネットなどでそういう論調がみられるのは事実だから成功もしていると思う。

まぁ、それは来年インテルは1Gのプロセッサ出すから今、AMDのK6−3なんて買うのは馬鹿を見るだけだよっていってるようなものだから冷静に考えればナンセンスこの上ないわけだけれども、しかしゲーム機だからそれがもっともらしくみえてしまうのも事実。

PS2がでて伸び出した頃には任天堂が新しい機種を発表してその上を行くとぶちあげるだろうし、それがおちついて任天堂が実際に機種を出した頃にはSEGAが次の構想を発表しているだろうから、まぁ、どこまでいってもお互い様でしょうな。ゲームファンにとっては当分飽きない三つ巴になりそうだ。

まぁ、SONYはそれでもかまわないと思っているのかもしれない。VAIOだって別にAT互換機を売って儲けようとかという発想ではなくてツールとしてのパソコンであり、その中で現実味のある方法論がAT互換機に過ぎない、という論点をもっている。
その中の一つとして、もっとも家電に近い存在であり、コンテンツをゲームという「自分で」うごかし、持つことのできる映像機器として捉えていることも考えられるからである。


お疲れ様でした。続きはまた後日]