パソコンが売れなくなった?

パソコンが売れなくなったという。
数字として軒並みマイナス成長、しかも20%以上と非常に深刻らしい。
よくよくみてみれば確かに大手家電量販店のパソコン売り場の活気がなく周辺機器等の品揃えが非常に悪くなっていることに気がつく。

わたしからしてみればなんでこんなに最近まで調子良く売れていたのか、そのほうが不思議であった。

わたしのパソコン歴というものをあらためて見てみるとそれだけで一端が判るものだ。

まず、最初はゲーム目的。ゲームのためならお金を惜しまない、ゲームのためにハードを買うようなものだ。しかし、多くの人間などはゲームなんかやらないし、PCなんか使わなくても遥かに素晴らしいゲームがプレイステーション2なりで遊べる。
私はPCならではのゲームにも要求があるのでPCを使っているに過ぎない。

次はパソコン通信。パソコン通信自体をコミュニケーションのひとつとしても位置づけがある。しかしこんなひともそうそういない。掲示板なんかでもそんな発言をできる人なんてそうそういるものではないのだ。多くの人にとってある程度のまとまった文章を書くことは非常に難しいことであるし面倒なのでやらない。

インターネット、まぁ、要するにWebブラウジングやメール用途であろうか。Webブラウジングは確かに楽しいし安易に楽しめるものであろう。しかしながらそのプロバイダ代、電話代、パソコンの使いにくさを乗り越えてまでやるほど楽しいものであろうか?TVなんかをみていたほうがよっぽどためになる情報を得ることができよう。自分で興味深いところにどんどん進んでいくのが楽しいという人もいるかもしれないが、そうでもない、という人たちがほとんどなのだ。
メールなんてiモードなんかのほうがよっぽど簡単で便利であろう。

他の用途? そんなもんあるのか?
なんでわざわざPC使ってDVD見るのか理解に苦しむし、TVだってそんなもん一部屋に一台既にある時代でなんであんな馬鹿高いPCを買う理由になるものか?

さて、多くの購入者は何を思い、何のために買って行ったのだろうか。。

IT革命が購買意欲を落とした

ITに対する啓蒙といってパソコン教室みたいなものが各地で行われているらしい。
私はこれが実は多くの人たちにPCを敬遠させてしまっているのではないか、と考えている。

PCって良くわかんないけどとりあえず買ってみる、と思っていた人たちが敬遠しているのだ。

講習を受けないといけない、つまりそれは講習を受けないと使えないものである、ということおを全国民に知らしめてしまったのだ。
これはある意味、正しい事を知らしめたのだから否定をするものではない(笑)。
しかし、これによってPCを多くの人たちから遠ざけてしまったのではないか。

もしかしたらIT講習を受けてそれがあまりにわけが判らなくて(どういう質でやっているのが非常に興味があるのだが)PCはもう触らない、触らなくてもいいや、と諦念してしまった人たちが増えてしまったのではないだろうか。
そしてそれは正しい知識によってCMが幻想を植え付けているものであるということが判ってしまったのではないか。

購買者心理

売れ行きが伸びていたころの購買者心理はこうだ。
どうもパソコンというなんかかっこいいおもしろそうなものがあるらしい、よくわからないけどとりあえず買ってみて使ってみたいな、とその程度の衝動で買われていったのではないだろうか。

そうして多くの人が買っていったのだろう。そして割と多くの家の居間などにおかれただろう。そしてそれはどうなっただろうか。活用されているのだろうか。

殆どの場合、埃を被っているのではないだろうか。よしんば活用しようとしてもほんの5年前のPCでさえ、今となってはパワーユーザーでもそうそう活用できない。
高いものだからそうそう捨てることもできない。捨てるのにも金がかかる。

さて、あなたが友人(親戚でもいい)の家に行ってわけのわからないものがおいてあって高いものでほんの数年前に買ったものなのにもう使っていないらしい。それがパソコンというものらしい。
さぁ、あなたはそのパソコンなるものを買うだろうか。
普通の神経であればそれを買わないだろう。

売れるもの、というのは「こんなにいいもの買ったぞ」と自慢されて、「むむむ、これはいいなぁ、ぜひとも欲しいぞ。」という衝動に駆られて購入にいたりそれが連鎖していくものであろう。
それがむしろ逆になってしまっているのではないか。

PCの発展がおとす購買意欲

消費者無視のPCの発展というものが起こした責任も大きい。
CPUの高速化、メモリの大容量化、ハードディスクの大容量化、3Dの高速化などなど・・・さてではこれらがいったい消費者になんのメリットをもたらしたのか、何も知らないパソコンを購入した人にきっちり説明できる人ははたしてこの世の中にいるのだろうか?
せっかく買ったパソコンが使えなくなる、どんどん取り残されて最新のソフトが満足に使えなくなっていく、それが多くの買った人間が持っている感覚ではないか。
世代を繰り返すごとにその感覚を持つ人が増えていく、この現状に対する危惧を私は非常に感じている。
買った人が乗り遅れまいと新しく買い換える・・・とどうもメーカーは考えているのだろうが、そんな馬鹿な話はない。ほんの数年で時代遅れで使い物にならなくなってしまう、そのことを一度知ってしまうと馬鹿らしくて2度と買わないのが普通の感覚ではないか?
普通の家電製品は10年くらい使って壊れてようやく買い換える、のが普通である。常に新モデルで無いと我慢できないような贅沢な人間はほんの一握りだろう。
その辺を基本的に勘違いしているのが現在のような状況の一因になっているのではないか?

メーカーのプライドの失落

パソコン黎明期といわれた8ビットパソコン時代のほうがよっぽど楽しい時代であった。
各メーカーがそれぞれ創意工夫していろいろ出してきていた。
もちろん実用という面では非常に希薄なものであったが各メーカーの考え方が出ていた。
ソフトウェアといってもBASICというコンピューター言語が搭載されていてプログラムを作らないと作れないものではあったがそのBASICにも非常に個性があり思想というものが現れていた。多くのメーカーはMicrosoft社のものが殆どであったがちゃんと自分もマシンの特徴を発揮するために工夫がされていた。
ところが今はどっかのソフトハウスのソフトを適当に放り込んでぽんと出しているだけである。
ひどいところはMicrosoft一式をいれてそれで終わりなんてものがある。
あとは広告まで入っていてユーザーを混乱させる。
ランチャーとかヘルパーとかそういうものを頑張って入れているところもあるが、根本的にそっから一歩でないとパソコンを使うことにならない、しかしそこから出たらぜんぜんわからないという状況にあり、基本的な解決に至っていない。

自前のソフトで売りを作れよ

あれだけ問題になっているOutlookが最初から入っている。Outlookの基本的問題を知らないわけではないだろう。いや、もし知らないとしたらそれ自体が大問題だ。
Microsoftの圧力云々もあるようだが、消費者を向いていないといけない、いや、そうであれとさんざん言われているはずのメーカーがたかが1構成部品メーカーの顔色を窺って商品性を損ねるというのは明らかにプライド以前の問題である。
メーラーでいえば自前で作っているところもある。WindowsCEの例であるがモバギメーラーは非常に評判が良い。Windowsでも是非とも見習って欲しいものだ。
富士通、NEC、SHARPなどは自前でソフトを作って売るくらいのことはやっているわけである。是非とも自信を持って自社製品に全部バンドルするくらいのことをして自分たちのアピールというものをやって欲しいものである。
それが「あのソフトがはじめっからはいっているからXXのを買おう」という動機にきっとなるはずである。
WindowsなどというOSが表に出ないくらいに使えるソフトでうずめて欲しい。もうIEを入れるのは構わない、いまさらどうこういう気もない。
ではIEエンジンを利用して自分たちがこれなら非常に使いやすい、と自信を持って言えるような自前のフロントエンドでブラウザを用意したらどうなのだろうか。

いつまでOSのロードマップに振り回されるのか

PCにとってOSというのは構成部品のひとつである。当然その評価をしなくてはいけない。
で、果たして本当にテストをしているのだろうか。
恐らくはプリインストール状態でのテストはしているのだろう。
それならば問題は起きないようにはなっているのだろう。
しかし普通の人がそれだけで済むのか。それがパソコンのある姿かといえば否であろう。
パソコンには別の何らかのソフトが入る。それで不具合が発生する。
そのソフト自体が悪い場合もあるが、そんなもんでおかしくなるOS自体の基本思想の間違いもある。
なにをいっているかというとWindowsMeのことである。なぜあれを採用したのか。
ユーザーにはなんのメリットも存在しないのである。その癖に不具合があまりに多数報告されている。不安定さがあきらかに増えたなど基本的に言語道断な報告もある。
おそらくMicrosoftは98SEを打ち切ってMeに移行すると言われたのでみんなして移行したのだろうが、それがすなわちメーカーとしての主体性のなさが現れている。
つまり消費者のために評価をして採用判断をする、ということを怠っているのだ。

自分を取り戻さないと未来はない

PCだからといって新しいことを言っているわけでは全くない。
メーカーとしての基本姿勢を失っている、まずそこを取り戻すことからだ。
例えば動かすのに非常に手間のかかっていたビデオレコーダーも、改良を続けてかなり簡単に使えるようにした(途中で進化を止めてしまったが)。 ユーザーに近い言葉を一番知っているのは米国系のOSメーカーではなく、自分たち日本のメーカーであろう。インストーラー、Wizardだって自前の言葉で作らせるべきである。 “一般人”を使って消費者テストをして基本的にどこが使いにくいかを追求し改良する、それはほとんどの家電メーカーが競争の中で得てきた手法ではないのか。
それをPCに対してやっているのだろうか。商品サイクルが短いからやっていないのだろうか。次の商品でかなえるということでもいいからそれに対しての努力をしているのか。
多分やっていないだろう、担当はわかっていても動けないのだろう、できる体制にないのだろう。PCはこんなもんできたんだから問題ないだろう・・・まぁ、そんなところだろうか。
AT互換機の開発、そのコストが最初にありき、とそのために台湾にまかせて社内ではただ生産をコントロールしているだけ、という貧弱な体制で今まできてしまっているのではないだろうか。 SONYが強いのはそのあたりのしがらみがないから、といわれている。
彼らの発想の違いは、AT互換機を作るのでなく、ナニカを作ろうとしてそのイメージがまずあり、それをAT互換機でどう実現するか、というところにあるように思う。

パソコンをあくまでつくるんだ、というIBMはそれはそれで潔いのであるが、それゆえにデスクトップではひどく苦戦している。実用重視のノートでは支持があるのは言うまでもない。

しかしそれは国内メーカーには許されないしトップシェアとか売り上げ単純増加を狙うのであればそんな主張などは埋もれてしまうだろう。一般に支持されるのは単純で堅実に、誰にでもちゃんと使えるようにすることだ。


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